映画

第317回 映画『燃えあがる女性記者たち』

サッパリ本当のことは報道しない日本のメディアにはウンザリします。ほぼテレビのニュースは見なくなりました。恥ずかしくないのかなと、アナウンサーの顔をしげしげと見てしまいます。天気予報ぐらいは参考にしていましたが、これもアプリで確認できるのでわざわざテレビで見る必要もありません。

インド北部にあるネパールに接したウッタル・プラデーシュ州(人口2億人)の中心部を舞台とするドキュメンタリー映画です。インドでは紀元前からのカースト制度がいまだに残っており、上からバラモン(司祭)、クシャトリア(王族)、バイシャ(庶民)、シュードラ(隷民)の4つに分かれていることは知っていましたが、それにも含まれないダリット(不可触民)がいました。ダリットとは「壊された人びと」を意味するヒンディー語だそうです。ダリットはインドの人口の16%を占めているそうです。

この映画は最下層のダリットの女性たちだけで立ち上げた新聞社「カバル・ラハリヤ(ニュースの波)」の女性記者3名を5年に亘って撮影したものです。2021年サンダンス映画祭ワールドシネマ・ドキュメンタリー部門の観客賞と審査員特別賞の受賞を始めとして30を超える映画賞を受賞しています。

新聞を週刊で発行する一方、スマホでニュース動画を配信するようになります。当初は、スマホを触ったこともない、文字も書けない女性記者たちに対し、主任記者のミーラは粘り強く教えていきます。

泥だらけの道路、トイレがない生活、レイプが日常茶飯事に行われている実態を報道し、動画の再生回数の多さから、少しづつでも行政が対応していきます。嫌がらせ、脅迫を受けながらの取材です。2014年以降、40人の記者が殺されているインドでは、ジャーナリズムはまさに命駆けです。動画再生回数は、1億5000万を突破して、「カバル・ラハリヤ」は支局も開設の予定だそうです。

第313回 映画『福田村事件』

オウムを内側から見た『A』『A2』、佐村河内守に密着した『FAKE』などのドキュメンタリー映画を撮ってきた森達也監督の初の劇映画作品です。

今から丁度100年前の1923年9月1日に発生した関東大震災で実際に起きた虐殺事件を描いています。公開は震災の日の9月1日です。森監督は、誰も演じてくれないのではと危惧していたそうですが、井浦新、田中麗奈の夫婦役に、東出昌大、永山瑛太、ピエール瀧などいわく付きの俳優が出演しています。瑛太はもっと自分の出番を増やして欲しいと要求するほどの意気込みだったそうです。

四国の讃岐から家族一同、瑛太を中心に15名で薬の行商のため、千葉県東葛飾郡福田村に来ていました。穢多(えた)として差別を受けていた人たちです。震災後、朝鮮人による日本人に対する殺戮が行われているという内務省からの通達により、村人はピリピリとしています。瑛太たちも商売を控えて、宿に留まっていました。木竜麻生演じる新聞記者は、自分が見たものを報道させてくれるよう、ピエール瀧演じる上司に食い下がります。

何もせずに15人が生活するには限界があり、旅行商たちは震災後5日経過後の9月6日に出発します。そこで、村人の自警団に呼び止められ、日本人かどうかを問い詰められます。そのうち、方言が通じず朝鮮人ではないかとやじられます。瑛太は逆に朝鮮人だったら殺してもいいのかと怒り、殺されてしまいます。続けて9人が殺戮されます。

残った6人は針金で縛られ、村人から責められていますが、そこで一人が「帰命無量寿如来」と称え、他の人たちが「南無不可思議光」と続きます。浄土真宗の「正信偈」です。まさに日本人でした。讃岐は妙好人の庄松さんで有名です。鳥肌が立ちました。

事件を追うだけでなく、井浦新、田中麗奈の夫婦の問題など、重厚なドラマとなっています。新聞が真実を報道しないという批判ともとらえれます。まさに今のコロナ・ワクチン騒動を彷彿とさせます。

第304回 映画『Winny』

松本優作の監督で、主演を東出昌大、脇を三浦貴大、吉岡秀隆、吹越満、渡辺いっけい等が固めています。実話を元にした映画です。

〈47〉のハンドルネームでWinnyを開発した金子勇氏が、著作権法違反の幇助の容疑で逮捕され、7年かかって無罪を勝ち取った事件の映画化です。金子勇氏が開発したのはファイル共有ソフトです。うちの事務所で使っているファイル交換「安心君」が思い浮かびます。Winnyが開発されたのは2002年、「2ちゃんねる」で公開すると、約200万人のユーザーにとって、大容量データの送受信が可能となりました。

映画の中で「人をナイフで殺すと殺人罪で問われるが、ナイフは罪に問えない」との譬え話が出てきます。世界的にも開発者を逮捕した例はないそうです。檀俊光弁護士(実名)が弁護を請け負います。今回の映画化でも特別協力として携わっています。この映画では全て実名が使われています。檀弁護士は三浦友和夫婦の次男の三浦貴大が演じています。

2時間超の上映時間が気にならず、見入ってしまいました。少ない上映回数にもかかわらず、客席はほぼ満席です。関心の高さが伺えます。

金子勇氏は、東出昌大が演じ、この映画のために18㎏増量し、本人の仕草から真似したそうです。金子氏の実のお姉さんは、映画を観て本人が生きていると思い、涙したそうです。金子勇氏は7年間の裁判ののち1年半後の2013年に42才の若さで、急性心筋梗塞でお亡くなりになっています。人が3年間で開発するところを2週間で開発するという天才型の開発者だったそうです。

当時の安倍晋三官房長官が会見で「情報漏えいを防ぐもっとも確実な対策は、パソコンでWinnyを使わないことです」と言っていることから国策の匂いがします。その後、YouTubeなどが拡大していきます。

映画の最後に、金子勇氏ご本人の動画が延々と写され、感銘を受けました。

第300回 映画『モリコーネ 映画が恋した音楽家』

映画音楽家のエンニオ・モリコーネのドキュメンタリー映画です。監督は『ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』等でモリコーネとタッグを組んだジュゼッペ・トルナトーレ。『ニュー・シネマ』で音楽の担当をお願いしたときは、既に巨匠であったモリコーネに対し緊張しますが、その後、師匠・友人として交流し、全ての映画でモリコーネに音楽を依頼しています。

このドキュメンタリー映画の製作に際し、製作者側がモリコーネに打診をすると「ジュゼッペが撮るならやってもいいが、彼以外ならダメだ」との返事から、ジュゼッペ・トルナトーレが快諾し、撮影がスタートします。

黒澤明監督の『用心棒』の映像が出てきます。映画を撮るに当たって、モリコーネの関わった映画のシーンを自由に使えるという要望が通っていました。さすがに『用心棒』には関わっていませんが、その影響で制作されたセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』に繋がります。小学校の同級生だったレオーネから依頼され、印象深いあの口笛の曲が作られます。『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』と続き、『ウエスタン』(原題・ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト)に昇華していきます。『ウエスタン』は深い感動・余韻を残す映画ですが、モリコーネの曲だったとは!この映画でその秘密を知りました。

アカデミー賞の作曲賞に『アンタッチャブル』などで5回ノミネートされますが、なかなか受賞にはなりません。その時の悔しがる映像も流れます。78才でアカデミー賞の名誉賞、いわゆる上がりの賞を受けますが、なんと87才でタランティーノ監督の『ヘイトフル・エイト』で作曲賞を受賞しています。

毎朝4時に目覚めると体操をします。生涯現役で、この映画の編集中に91才で亡くなりました。しかし、今でもモリコーネが生きて作曲しているような映画になっています。映画を観てから、Amazonミュージックで、エンニオ・モリコーネの曲を毎日聞いていますが、飽きません。

第295回 映画『ラーゲリにより愛を込めて』

ラーゲリとはソ連の強制収容所です。二宮和也主演で、シベリア抑留された山本幡男さん(実在)を演じます。「嵐」というよりもワンランク高い役者というイメージです。クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』から随分と成長しています。帰国を待ち続ける妻モジミに北川景子。日本にこんな美人の女優さんがいたかと思いましたが、途中で気付きました。

戦後、約60万人の日本人が抑留され、マイナス40度を下回らない限り、普通に強制労働を強いられます。何時帰れるかもわからない状況のなか、山本幡男さんはダモイ(帰国)を信じ、絶望のなか仲間を鼓舞していきます。ロシア文学に詳しくロシア語が話せ、ロシア人との通訳を務めます。

共演に松坂桃李。敵前逃亡したため、自分に卑怯者のレッテルを貼り苦しんでいます。桃李くんの映画はほぼ全て観ています。また出ているという感じです。ドラマでよく見かける安田顕。部下をスパイとしてロシアに売り、生きる屍のように登場しますが、山本の助けにより徐々に生き返っていきます。山本の上官に桐谷健太。最初はイヤな上官でしたが徐々に打ち解けてきます。中島健人は一般人でありながらシベリアに連行され、明るいキャラです。

原作は辺見じゅんの『収容所から来た遺言』(文春文庫)です。『昭和の遺書』の募集でモジミさんからの幡男さんの遺書を読み、衝撃を受けます。瀬々敬久監督が原作を読み、「これは国民映画にしなければならない」と言って、映画化となっています。

全員が帰国できたのは1956年、終戦から11年後です。その前年に山本さんは喉頭癌のため亡くなっています。なんとその幡男さんの遺書が、仲間たちの記憶により奥さん、子どもたち、お母さんに届けられます。遺書の全文はパンフレットに載っていますが、かなりの長文です。

映画館のあちらこちらから、鼻をすする音が聞こえてきていました。号泣必至の映画です。

第290回 映画『荒野に希望の灯をともす』

2019年12月4日、アフガニスタンで凶弾に斃れた中村哲医師のドキュメンタリー映画です。映画を観る前に著書の『天、共に在り』を読み予習していました。本を読んでいたお陰で、映画の内容がとてもよく理解できました。本には写真も載っていましたが、映像で見ることで、凄さを再確認しました。

中村さんは福岡市博多区堅粕の出身です。6才から九州大学医学部を卒業するまでは古賀市に在住していました。小学生のときに、好きな昆虫を採集するために、古賀市の薦野のバス停から山に分け入ったと記しています。当初は、1984年にパキスタンのペシャワールに赴任して医療活動に従事します。

KBCシネマでの上映後、谷津賢二監督の舞台挨拶がありました。映画館は超満員で、補助席まで出ています。谷津監督は1998年から2019年の19年間、中村哲さんを撮影してきました。撮影のため、アフガニスタンに行くこと25回、通算450日滞在し、1,000時間のフィルムを残したそうです。

90分の映画にまとめるのは難しく、中村さんの言葉に導かれながらの映像となります。中村さんは寡黙な方でしたが、一言で表現すると「仁と義の人」とのことです。ご自身でパワーシャベルを操作したりして、広大な砂漠を緑豊かな地に変貌させ、医師の範囲を超えての活動です。それも、戦場の中での土木工事です。

こんな偉大な人が今の日本におられたのかと、驚きです。言葉も宗教も習慣も違うなかに飛び込んで、アフガニスタン人と一緒になっての用水路を完成させていきます。映画では、どれだけ現地の人から信頼・尊敬されていたかが伝わってきます。

しかし、完成した用水路が2010年の大洪水により流されてしまいます。さすがに中村さんは呆然としてしまいます。江戸時代に作られた筑後川の山田堰を参考に堰を築いていき、洪水に耐えきれるものを完成させます。まさに実行、行動の人です。私には菩薩様に見えました。

第287回 映画『杜人 ~環境再生医 矢野智徳の挑戦』

造園家で環境再生医のの矢野智徳さんを2018年5月~2021年10月までを追ったドキュメンタリーです。矢野さんは1956年生まれで北九州市出身、現在は山梨県上野原市在住です。制作・監督・撮影の前田せつ子さんは、ナウシカのような矢野さんに出会い衝撃を受けます。

「虫たちは葉っぱを食べて空気の通りをよくしてくれている」「草は根こそぎ刈ると反発していっそう暴れる」「大地も人間と同じように呼吸しているから、空気を通してやることが大事」という言葉に感銘し、屋久島、気仙沼、安曇野等、矢野さんの現場を撮影していきます。

屋久島では荒波が打ち寄せる浜に、弱ったガジュマルの木が立っています。「屋久島の生態系のエネルギーでやっても追いつかないぐらい、人の負のエネルギーの方が大きいから、こういう状態になる」と言います。矢野さんは手作業を始めます。ノコ鎌でガジュマルの周りに空気が流れるよう草を払い、海へと流れる水みちに穴を掘っていきます。それだけで淀んでいた水は流れ出し、ガジュマルは息を吹き返します。

確かに、炭火をつける時にも、空気が通りやすいように木炭を積み上げていきます。人間の身体も、どこかが詰まると病気になります。胆管が詰まれば胆管炎となり、便秘になれば万病の基となります。ダムや、道路などコンクリートで固めているため、水が流れず段々と溜まっていき、その水を吐き出すために土砂災害になると説きます。水を流す、空気を流すために、現場にある廃材、流木を利用していきます。

「杜」とは「この場所を傷めず、穢さず、大事に使わせてください」と人が森の神に誓って紐を張った場であり、それを守る人を「杜人」というのだそうです。考えさせられる映画です。

第278回 映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』

2018年の『ぼけますから、よろしくお願いします。』の続編です。信友直子監督の実のご両親のドキュメンタリーです。前半は前作のおさらいで、観たことのある映像です。監督は1961年生まれ、母親は1929年生まれで、私自身と年令構成はほぼ同じです。父親は1920年生まれで何と今年102才です。お父さんの元気良さが際立ちます。

お母さんが80代前半でアルツハイマー型認知症と診断され、だんだんと日常生活に支障をきたしてきます。お父さんは、それまでは家事はほぼしてこなかったのに、90代から家事を始めます。ホイホイと家事をこなしているように見えます。何と言っても、明るい! ギャグを飛ばしながら大変な状況に対処していきます。地元の呉市に帰ってこようかと娘は提案しますが、大丈夫と請け負います。

お母さんが脳溢血で倒れ国立病院に入院となってしまいます。ゴーゴーで徒歩1時間かけてお見舞いに行きます。往復で2時間! 95才を超えたおじーちゃんがです。男の場合、周りを見ると90才超えると痩せてくるようですが、痩せもせず肌もつやがあり、しわも目立ちません。

前作の映画の舞台挨拶にも登場します。98才ですが、シッカリと大きな声で自己紹介し、「どうぞ、娘をよろしくお願いします」とまで言います。さすがに腰は曲がっています。100才になって呉市から内閣総理大臣からの表彰状と金一封を頂き、早速、封筒を開けて、数えてビックリ! 5本の指を立てます。「また来て下さい」とつぶやきます。

コロナ禍により、見舞いにも行けなくなります。いよいよ危なくなってからは、娘さんとお見舞いに行くようになります。感謝の言葉を述べます。呆れるくらい、仲のいいご夫婦でした。

今では、監督の娘さんとZOOM配信までしています。100才を超えても元気なおじいさんです。